美術に関してのメモ、etc

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出光真子「英雄ちゃん、ママよ」

「主婦の一日」と「英雄ちゃん、ママよ」という映像作品

この作品予告が流れた時、‘以前、観た’と確信したのに、どこでいつ見たのか思い出せずにいたのだけど、どうしても気になって調べてみると、2013年に東京森美術館で展示されていたのである。私は、この頃、草間彌生作品みたさに六本木の森美術館で開催の「LOVE」展を訪れたのだと思う。この前くらいから、草間彌生で盛り上がっていたから。

息子と一緒に観に行って、「意外と‘初音ミク’面白いね」、と言った記憶がある。

その時に、出光真子作品を見たのだと思う。

ただその時は、良く意味がわからずその映像は、忘れていたのだけど、「アカルイカテイ」予告映像で蘇ったのだ!

ものすごく変な感想を、違和感、を持ったのかもしれない。或いは恐怖かも。

「英雄ちゃんママよ」

息子が社会人となり、夫婦二人の家庭。

起床してから就寝まで母親がビデオの息子の映像に話しかけている、怖ろしい映像。

仕事中の息子に電話し、連休に帰って来ない旨を言われると「どうしてそんな子になったの?」と息子をなじる。挙句に夫にはお手伝いさんを雇い自分は息子が心配だからと息子のもとへ出掛けて行くシーンで映像は終わっていく。

私にも息子がいる。

出光真子自身も息子を生んでいる。自伝「ホワット・ア・うーまんめいど」の中で私自身にもそういう要素があったのかもしれないようなことを語っている。母親とはなんと怖ろしい生き物なんだろう。

彼女にとって息子達は手のかかる生き物で、当時自分の作品をつくりたかった彼女には焦りとジレンマがあったのに・・・。

これは、すべての母親には理解、共感でき、見たくない、普段は蓋をしている真実なのだろう。と思わずにいられないところが恐ろしくてたまらない、ゾクゾクしてしまう。

彼女はこの後、娘と母親をモチーフに映像をつくっている。

こわい。

ほんとうにコワイ。

息子と母も恐いけど、娘と母も恐い。

この問題は、現在もずっと引き継がれている。

家族は、良い面もあれば、それに縛られてしまう恐い面もあるのだということをあらためて感じてしまった。

「今晩何にする?昨日天ぷらだったから、今夜は豚鍋にでもしようかしら。あなた、豚しゃぶ好きだったわよね」

そのあと、小さく、「好きだった。・・・好きだった・・・」と表情のない顔でつぶやく。きっと彼女はきちんと現実を認識している。

認識しているけど、今の現実から逃避したいのだ。

彼女が怖すぎる。