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アトム・ピース(Atom Piece 1964~65 )  ヘンリー・ムーア

ヘンリー・ムーア 1898〜1986

小学校の先生をしていたムーアですが、第一次世界大戦に従軍後、人間にとって最も大切な物、人間と自然の豊かな関係の回復を求めてロンドンの王立美術学校に進み、彫刻家になりました。

大理石やブロンズの大きなモニュメントは、パブリックアートとして世界中で親しまれています。

彼は外観の形態だけでなく、くぼみや空洞にも価値を与え意味を持たせています。彼の作品のほとんどが実際に目にして興味を持った形から発想されています。

日本では彫刻の森美術館で、たくさんのムーア作品に触れることができます。

 

ムーアのアトリエには、散歩の途中で拾った小石や木、色々な動物の骨などが置いてあります。それらはムーアに拾われることで生き生きとしてきます。ムーアの作品には、自然への深い洞察から生み出された力強さと優しさがあります。

アトム・ピースが生み出された時は、象の頭蓋骨の標本が置いてありました。彫刻の上半分は、丸いつるつるとした形、下半分は四角い足の様な柱の様な形で表面はギザギザの傷がつけてあります。印象の違う二つの物がくっついている様な感じです。

この作品は、見る角度によって、色々な表情を魅せる作品で、造形としての面白さを感じてみて欲しい作品ですが、ムーア自身は、どういう経緯で気持ちでこの作品を創ったのでしょう。

 

以下、広島市現代美術館 作品解説からの引用です。

では、ムーア本人は、この作品をどの様に考えていたのか。1965年5月にマックニールに宛てた手紙の中でアトム・ピースを次のように説明している。

「上部は原子爆発のきのこ雲と人間の頭蓋骨、下半分は教会の内部を思わせる丸天井のアーチ型部分の骨組を表す。そして全体として抑制された力と前進する力をイメージする。」と。ここからも、ムーアの戦争と平和の二面性を秘めた複雑な原子力(アトム・ピース)の捉え方が浮かび上がる。

原子力の恐ろしさは、原子力発電、また原水爆など、平和利用、軍事利用を含めて複雑なものである。教会ときのこ雲、その二重構造をはらんだ複雑な姿は原子力問題の恐ろしさとそれを抑制する人間の可能性を象徴しているように思える。

広島市現代美術館 Arch収蔵作品解説)

 

アトム・ピース(Atom Piece)誕生とニュークリア・エナジーNuclear Energy)という2つの作品の関係について

 

アトム・ピース(Atom Piece)は、シカゴ大学核分裂連鎖反応実験の成功25周年の記念碑ニュー・クリアエナジーNuclear Energy)の制作模型でした。

シカゴは最初の原子炉が作られたところです。

1963年シカゴ大学原子炉の初成功からの25周年を祝うためにヘンリー・ムーアに何かモニュメントを作って欲しいという依頼をしました。ムーアは1950年代には、核兵器廃絶運動(CND)という団体の創立に関わっていましたので、何故シカゴ大学のモニュメントを頼まれたんだろうと思ったかもしれません。結果的にムーアはビジネス感覚が鋭い人でしたので、そのような依頼があるのならばプロジェクトを引き受ける決心をしました。シカゴ大学のこの記念碑設置のための委員会のマックニールがムーアに宛てた手紙によると、「あふれる希望と大いなる恐怖をもたらす人類の偉業に対する記念碑として依頼」と記されています。そして、その手紙を受けて、ムーアは12月22日「人類にとって途方もない出来事であり、記念碑をつくることは大変責任あることで簡単なことではない。けれど私にとっても大きな挑戦であり検討したい」と返信しています。その月のうちにシカゴ大学の委員がムーアを訪れるのですが、その時に候補として思い立って見せたのが、既に存在していた15cmのマケットでした。大学の委員会がムーアのスタジオに来たときに、そのマケット(彫刻のための雛形)は存在していました。そのマケットは、シカゴ大学から依頼を受ける数ヶ月前に、CNDの1963年のキャンペーンのポスターをヒントにして作られたものでした。F.H.K.ヘンリオンがデザインした有名なポスターで、人間の頭蓋骨とキノコ雲を組み合わせたようなポスターです。それがこのドーム型に3本の脚がついている作品に発展したのです。

ムーアは後に『ザ・ライフ・オブ・ヘンリー・ムーア』に、シカゴ大学の委員に思い立ってそのマケットを見せた時からその模型が、「アトム・ピース[Atom Piece]」と呼ばれることになったと記されているようです。

シカゴから来た委員会は「アトム・ピース[Atom Piece]」の「piece」[部分、小片、この場合は作品]という言葉を同じ発音の「peace」[平和]と間違われないかと考えました。言うまでもなく、原子爆弾を連想させる意味合いが生まれます。それで、何かもっとポジティブな、もっと肯定的な題名に変えてもらいたいとムーアに頼んだのです。シカゴの委員会が提案した「ニュークリア・エナジー[Nuclear Energy]」という題名をムーアは受け入れますが、ムーア自身はその作品を生涯「アトム・ピース」と呼び続けました。

1964年8月に、15cmの模型は120cmの制作模型に拡大され、翌1965年には、これをブロンズに鋳造された「アトム・ピース」が生まれたのです。

ムーアは、自分が作っていた「アトム・ピース」を核兵器廃絶運動—CNDから離れたものにすることによって政治的な意味合いをなくすという意図もあり、マケットは既にできていたのですが、その横に象の頭蓋骨を置き、象の頭蓋骨を見ながらその雛形を作っているふりをして写真家に写真を撮らせています。そうすることで、これは核廃絶のものではないのだということを表してシカゴの委員会にとって受け入れやすいものにしました。

1966年、アトム・ピースを3倍に拡大したニュー・クリアエナジーの石膏原形が作られ、ドイツのヘルマン・ノアック社で鋳造後、米国へ輸送、1967年12月にシカゴ大学に設置されました。

1980年後半、世界に6つ制作されたアトム・ピースのエディションNo.1は、広島市現代美術館の所蔵作品となりました。ここではもちろんシカゴとは全く違う意味合いを持つ作品となっていますが、美術館がその作品を購入したときにはシカゴの作品との関係がはっきりしていなかったため、後に論争になり一時期、展示をしない時期があったようです。 

 

参考資料

広島市現代美術館案内Arch

サイモン・スターリング アーティストトーク – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト